こんにちは。
まつたくです。
先日こんなツイートしました。
臨床してて、ACL損傷に対する思いは人1倍強いんだなと改めて思いました。
私はACL損傷患者さんのリハビリやトレーニングを本気でお手伝いしたいんです。
というよりそもそもACL損傷になって欲しくないのです。
もちろん印象的な出会いもあったけど、このケガがなければと何回一緒に後悔したことか。。— まつたく/松本拓也@島根からケガゼロに (@matsumo37) November 20, 2020
私たちの職場ではACL損傷後のリハビリで1年程度サポートします。
印象的な出会いであった選手との思い出を綴っていきます。
かなり思いで深いですね。
なお「本人から許可は取ってます。」
✅出会い
最初に出会ったのは体育館、大会の会場救護をしてる時でした。
顔馴染みの先生から、
「今度こいつ手術するからよろしくね。」
そういって紹介された坊主頭の彼はまだ高校1年生でした。
緊張してたのか、恥ずかしそうに
「よろしくお願いします。」
と言った彼がゆくゆくチームを引っ張るキャプテンになるなんて思ってもいませんでした。
✅手術、そしてリハビリ
術前のリハビリも開始し、可動域は良好で順調な経過でした。
言ったことはまじめにやり、できないことは次に来る時までにできるようになってくる、絵に描いたような優等生という感じでした。
手術も無事に終わり、入院時のリハビリが開始されました。
入院中も彼は午前と午後、ひたすらまじめにトレーニングを行い、順調に退院しました。
その後は外来でのリハビリでしたが、彼は片道1時間ちょっとかかる距離を自転車、電車、徒歩で来てくれました。
術後早期は装具もついてて歩きにくい中、駅から約2キロのところを歩いてました。
彼が病院に着くのは夕方5時、そこから約1時間半、みっちりトレーニングを行います。
トレーニングは順調です。
私は彼が出来るかできないかのギリギリのところを狙いつつ、
「じゃあ次までにこれ出来るようになっといてね」
といってだいたい1回のリハビリを終了します。
そうすると彼は、次の週になんなくこなせるようになってきます。
じゃあ次これ、次はこれというふうに行っていきますが、これがまた私に対してすごくプレッシャーをかけてきます。
簡単すぎるトレーニングでは彼は満足しません。
そんな顔、反応をしてるのがわかります。
彼とトレーニングしてる期間はトレーニング系の研修会に結構いきました。またいろんなアレンジを加えながら、本当に再発しないように進めました。
ただ、怖すぎるくらい順調に進むリハビリ。
落とし穴が待ってるとは知らずに。。
✅復帰、そして挫折
術後9ヶ月がうちでの復帰の目安です。
彼は筋力も問題なし、怖さもなし、アジリティ問題なし、左右左もほとんどない状態。
正直言って、今まで見てきた選手の中でも自信を持って送り出せるくらいの状態だなと思ってました。
「復帰の許可は出たけど、公式戦に出ることが本当の復帰だからそこまでサポートするよ」
そう言って彼を送り出しました
順調にプレーをしていたのですが、復帰してから数日、彼から連絡がありました。
「ひねっちゃいました。僕はこれからどうしたら良いんでしょうか?」
泣きそうになりながら病院を受診し、すぐにMRIが取ってもらえるようにスポーツ医に相談をして即日でMRIを取ってもらいました。
診断は。。。。。
「前十字靱帯再損傷」
正直どう声をかけてよいのか分かりませんでした。
「また切れちゃいました。何で自分なんでしょうか。」
また頑張ろう!
なんて簡単には言えません。
LINEがきてから、考えました。
数分だったと思います。ただただ、長く感じました。
出てきた文章は
「全力でサポートするから」
こんなことしか声はかけれませんでした。
ここから、また長い闘いが始まりました。
✅復活
ACLは切れてしまったものの、順調にプレーに復帰出来ていました。
ただ何度か膝の水を抜きました。
抜く度にドクターも、「怪しいな」といわれ、
水の中に浮遊物が出るようになってしまいました。
「おそらく軟骨だなー」とドクターもいいます。
これはやらせたくないな。
いつまでもつかかもしれないね。
そんな思いも聞かれました。
ただ彼に痛みはありません。
できる限りのメカニカルストレスを減らすためのアプローチをあらゆる視点からしました。
彼のために、研修会にも足を運びました。
様々なトレーニングを駆使して、彼の身体に刺激を入れていきます。
そんなこんなで2月に切れてから11月までの9ヶ月間、膝折れが起きること無く、プレーを続けました。
高校最後のWinter cupが始まります。
✅️そして活躍
彼はキャプテンとしてコートに立っていました。
膝にはテーピングとサポーターをしています。
彼のチームはここ何年かで1番良い形になっていました。
順調に勝ち進み、ベスト8での試合。
とんでもないプレーを見せます。
彼は160cmちょっとの身長。
相手のレイアップをブロックしたのです。
これは会場が沸きました。
彼自身もこんなに飛べるとは思っていなかったと後日談で聞きました。
そのプレーもあり、ベスト4進出。
徐々に膝も悲鳴をあげていると思います。
ただそんな事は彼には関係なかったようです。
チームの中でも1番に走り、跳び、がむしゃらにボールに飛びつきます。
しかし、結果、ベスト4で敗退。
彼の高校バスケが終わりを告げました。
この場に私はいなかったことをどれほど後悔したことか。。
✅卒業
彼はその後手術を受けました。
「半月板損傷」
「軟骨損傷」
膝の手術フルコースに近い状態でした。
術後の経過があまり良くなく、癒着がおきてしまい、手術後3ヶ月で再手術となってしまいました。
ここでまた出会いがありました。
別のチームで活躍していた選手が手術を同時期に受けました。
彼らは話したことは無かったそうです。
ただ、同学年だしと思い、同じ時間にリハビリをし、親友かのように仲良くなってました。
彼らは残り少ない高校生活を、リハビリという時間に費やしていました。
彼らは今も大学でプレーを続けています。
3月末、彼らも卒業です。
そんな中、彼らは私にサプライズを仕掛けてきました。
手紙です。
この手紙をもらって、私は一人で控え室で泣いてしまいました。
その手紙の中で、
「松本さんと2人3脚の僕の高校バスケ」
こんなこと言ってくれる選手は今までいませんでした。
ACL再損傷したとき、私は本当に申し訳ないと思いました。
私のせいで2度目の損傷を起こさせてしまったと。
順調にいっていたはずが、こんな思いを彼にさせたと。
そんな彼が私の事をどう思っているのか正直怖かったんです。
でもこの手紙を見て肩の荷が下りた感じがしました。
そんな彼も大学生。
時々、プレーの動画をくれます。
(というよりくれっていってます)
サポーターをしているものの、なんとか思いっきりプレーできています。
私はそんな彼のファンです。
コロナで無ければ試合も見に行きたい。
そんな彼との思い出をもう少し細かく書いているのがこの書籍です。
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